2022年4月からセミリタイア生活に入り時間が出来ましたので、蔵書の小説を読み直しております。
今回は奥田英朗「オリンピックの身代金」。
2008年発表作品。
吉川英治文学賞受賞作。
直木賞作家・奥田英朗が発表時に「現時点での最高到達点」と称した著者渾身の本作。
物語の舞台は1964年(昭和39年)、夏季オリンピックを目前に控えた東京。
警察幹部宅、中野警察学校を狙った連続爆破事件が発生。前後してオリンピック開催を妨害するとの脅迫状が届き、警察は極秘裏に犯人捜査に乗り出すことに。
物語は、犯人である東大院生・島崎、警察、島崎に関わる第三者それぞれの視点から時を前後にして語られることで事件の全貌が浮かび上がってくる構成となっています。
東北の寒村出身の島崎は、自身の兄がオリンピック関連の建設現場での過酷な労働の末に亡くなったことを契機として、経済成長著しい当時の日本の厳しい格差社会の現実に疑問を抱くことになります。
実際に過酷な肉体労働や環境に身を晒すことによってその疑問は膨れ上がり、そこからたった一人で国家に対する反逆に動き出すその心情や行動が丹念に描き出されて行きます。
オリンピックを人質に取って国家から身代金を奪おうとする島崎と警察の攻防は1964年10月10日の東京オリンピック開会式に向けて加速して行きます。
物語の背景にあるのは、当時の出稼ぎ労働者の置かれた環境の過酷さ・現在とは比べ物にならない地方格差・貧困です。
最近のサッカーW杯カタール大会でも外国人労働者の処遇に対して人権侵害があったと話題になりましたよね。
国を挙げてのイベントにおいて労働者の人権が蔑ろにされるなんてことは、今も昔も変わってないんですな。
搾取するものと搾取されるものの関係は人間の永遠の課題なのか・・・
本作の主人公・島崎は、自身が大学院でマルクスを専攻していることも一因として過激な行動に出るわけですが、その根底には格差をどうにも出来ない虚無感みたいなものが漂っています。
明確な思想犯と云うわけではなく、従ってセクト闘争みたいなものも良しとしない島崎の行動は読みづらく、警察も困惑することに。
この虚無感みたいなものは現代の若者にも通じるものがあるのではと感じました(島崎ほど大胆な行動に出ることはないでしょうけど)。
作中、当時の様子が驚くほど精緻に描かれています。著者である奥田英朗は1964年当時まだ5歳ですから、本作執筆に当たって相当資料調査に時間を費やしたと思われます。
コロナ禍において2回目の東京オリンピックも終えた日本ですが、二つのオリンピックはこの国に何を残したのか・・・
深く考えさせられることにもなりますが、単純にクライム・ノベルとして楽しむことが出来る作品でもあります。
ご一読を。
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では、また。